
ドラマ「VIVANT」でお馴染み、バルカ共和国に来ました~!
しかし調べれば調べるほど、チンギス汗と源義経の共通点が多過ぎて興味深い(^^)
at Chinggis Khaan Square in Ulaanbaatar, Mongol
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場所:
Chinggis Khaan Square(チンギス・ハーン広場)
Сүхбаатарын талбай(スフバートル広場)
住所:
WW99+J27, SBD – 6 khoroo, Ulaanbaatar 14201 Mongolia(Монгол Улс、モンゴル)
地図
備考:
2023年の夏クールで日本中を熱狂させ話題をさらったTBS系日曜劇場のテレビドラマ「VIVANT(ヴィヴァン)」。
その舞台となった「バルカ共和国」。
もちろん「バルカ共和国」は誰もが架空の国と認識し、実際はモンゴルだと理解していると思います。
そんなモンゴル、日本人にとっては、子供時代のお尻の青タンを「蒙古斑」と教えられ、日本人のルーツがモンゴルだと教わることにまったく違和感は無く、また、歴代相撲の関取がモンゴル出身だとしても、見た目も含め普通に日本人にとっては親近感を覚える存在のモンゴル。
ちなみに、冒頭のチンギス・ハーン広場の中心で誇らしげに堂々と立ち尽くす騎馬像はチンギス・ハーンではなく、1921年に清朝からモンゴルが独立する社会主義革命の英雄ダムディン・スフバートル(Дамдины Сүхбаатар)将軍の像です。

なお、モンゴルを建国したモンゴル最大の英雄チンギス・ハーン像は、広場北側のモンゴル政府宮殿の正面奥にどっしり鎮座されております。

そんなスフバートル広場とかチンギス・ハーン広場とか呼ばれる広場で飲むビール、

(現地で飲む)世界のビール vol.364
「UBe HERO」
ほどよい苦味が心地好く、モンゴルの乾いた大地で飲むに最適!
なお「UBe HERO」というビール名は、大文字の“UB”は“ウランバートル”で、名詞の後ろに付く小文字の“e”は、場所格の“~において”とでもいうモンゴル語の用法なので、まあ無難に「ウランバートルの英雄」とでも言った意味でしょう。
そこからさらに掘り下げて、“ウランバートル”という地名の意味が、“ウラン”が“赤い”で“バートル”が“英雄”という、そもそもが社会主義革命の英雄スフバートル将軍を讃えて名付けられたのなので、「ウランバートルの英雄」ということは、深読みすると「赤い英雄スフバートル将軍の英雄」という意味にもなる。
で、結局モンゴルの歴史的英雄であるチンギス・ハーンのことも含んだネーミングではないかと妄想が膨らみ、スフバートル広場とかチンギス・ハーン広場とか呼ばれる広場で飲むビールとしては、これ以上の最適なビールはないでしょう。
ちなみに「UBe HERO」を醸造するのは、2009年に操業を開始したウランバートルに本社を置く「アルバイン・ウンデス・ビバレッジズ合同会社(Arvain Undes Beverages LLC)」で、「Arvain」はモンゴル語で「大麦」、「Undes」は「国」を意味するので、“大麦の国の飲料会社”と言った意味合いの会社名か。
確かに極寒の冬と乾燥した風土のモンゴルでは、厳しい環境に強い大麦が重要な生産穀物になっており、国をあげて大麦生産に努めております。
とは言うものの、やはり厳しい環境で品質と生産性は向上せず、「UBe HERO」の原料は、オーストラリア産の大麦麦芽を使い、モンゴルの大地で濾過された新鮮な水と2種類のホップ、そして特別な酵母を使用してドイツの技術で製造されております。
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さて、こちらは2人の英雄でなく、ズバリ、

(現地で飲む)世界のビール vol.366
「CHINGGIS PILSNER」
穀物の香りが高く、モンゴルビールの中でも抜群に旨い!
なお、この「CHINGGIS PILSNER(チンギス・ピルスナー)」は、1997年にモンゴルの中心部ウランバートルで設立された「チンギス・ビール合同会社(CHINGGIS BEER LLC)」がドイツ工学の聖地ノルトハウゼンの技術を活用し、チェコとドイツから輸入した高品質の原料とモンゴルの大地から汲み出した新鮮な水を使用して製造しております。
そのものズバリ、モンゴルを代表するチンギス・ハーンの名を冠したビール、モンゴルに来たら、ぜひ飲みたいビールですね。
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さて、冒頭のチンギス・ハーン(成吉思汗、ジンギスカン)と源義経の話、江戸時代後期に日本で活躍したドイツ人の医学者で博物学者で民俗学者、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold)博士が、義経=成吉思汗説を発表したのが有名。
とは言え、義経の死後とされる室町時代には、すでに義経は蝦夷地に逃れていたという話があり、今でも北海道には多くの義経滞在伝説や史跡が残っております。
平家との戦いを大勝利へ導いた戦(いくさ)上手の英雄、源九郎判官義経が、実の兄に疎まれ、東北に追い込まれ征伐されたという悲しい歴史話が、まさに義経の官職名から「判官びいき」という日本人の弱者の肩を持つ気質に。
そんな「判官びいき」を抜きにしても、巧みな騎馬戦で敵を制圧する戦術や、小柄で酒を飲まないとか、紅白旗に分かれた源平合戦時の源氏の白旗を軍旗にしたりとか、源氏の家紋の
笹竜胆(ささりんどう)に似た紋章をジンギスカンが使っていたとかいう話や、ジンギスカン本人が自分のことを「クロウ(九郎)」と称していたり、自分はニロン人(日本人)と言っていたとか言う話からも、なんだか義経が生き延びて大陸に渡り、ジンギスカンになったという話には、日本人なら思わず壮大なロマンを感じてしまいます。

実際は決定的な証拠も無いため、日本およびモンゴルでも正史にはなっておりませんが、チンギス・ハーンの建国後に確立したとされるモンゴル語が、世界でも稀な体系の日本語と同じ「あ、か、さ、た、な…」と同じ並びの50音であったり、実際にウランバートルで行き交うモンゴル人の人々の顔が、隣の韓国や中国の人々より日本人に近い顔立ちだったりするのを見るにつけ、義経とジンギスカンが同一人物ではないとしても、太古の昔からモンゴルと日本は繋がって様々な交流があったのだろうことは実感できます。

そんなモンゴルのウランバートルに乾杯!
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